日本が世界に誇るキーボーディスト、深町純。彼が亡くなる直前にレコーディングされた全編即興によるピアノ・ソロ作品『黎明』は、日本におけるサラウンド・レコーディングの第1人者、Mick 沢口氏の手によりサラウンド録音された作品。ここでは、Mick 沢口氏にレコーディング当時のスタジオの様子やレコーディングについてなどのお話を伺ってみた。

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まずレコーディング当日のスタジオの様子などをお伺いできますか?

Mick 沢口:深町さんとは初めての仕事になりました。それまではシンタックスジャパンの村井さんから深町さんの〈投げ銭ライブ〉の様子などを聞いて独自の音楽世界を切り開いている姿勢に大変共感していました。

当日は、スタジオで軽くランチと談笑を終えると「じゃやろうか」とピアノの前に座りました。演奏時間の感覚を確認するため(多分深町さんは、1曲を6分程度で構成するつもりだったと想像しています)演奏して「これでどれくらいの時間?」と聞いた後は、自身の持つタイム感覚で一気に9曲を演奏しました。通常1曲演奏が終るとプレイバックをきいてOKかリテイクするかを判断しますが、そんなこととは無縁でひたすら「今考えている音世界をピアノで具現化する」という行為に集中していたように思います。
3曲弾き終わると「シーンとしている雰囲気は、演奏が乗らないから、曲が終ったら拍手してよ」と我々に声をかけて以降は、オリジナル音源には、曲間に我々の拍手も入っています。ですから私のようなレコーディングという立場からみれば、どのような大きさとダイナミックレンジで演奏するのかをあらかじめ曲毎にテストして最適設定しますが、今回は、まさに一発生勝負の心境で録音した状況です。幸い使用しているマイクや機材は、いつも使っていますので、どれくらいの音が出ていれば、最適設定はこれくらいかな?という予測だけをたよりにレコーディングが進んだのが現実です。9曲録音して「これくらいかな?」というところでシンタックスの村井さんが「リクエストです。“君の誕生日”を演奏してくれませんか?」という声に応えて10曲目が演奏され、それでレコーディングは終了しました。


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レコーディングに使用した機材についてお伺いさせて下さい。

Mick 沢口:デジタル・テクノロジーの恩恵を十分受けたレコーディング・システムでした。いつも私が使用するDAWと呼ぶハードディスク・レコーダーは、スイスのマージングテクノロジー社のPYRAMIXというシステムで、アコースティック音楽のように純粋な音源を純粋に記録できます。これまではデスクトップPCとの組み合わせしかありませんでしたが2010年にノートPCに対応したPYRAMIX NATIVEという機動性に優れたソフトが登場しました。モバイルでも高品質で録音できたらいいな。と考えていましたので早速代理店のDSP-J柳瀬さんに問い合わせしましたら「まだ検証が済んでないのでなんともいえない」という回答でしたので、私のほうでMAC BOOK PROのブートキャンプでWINDOWS+RME Fireface UCというインターフェースをつなぎHD録音が可能かどうかのテスト録音を、シンタックスジャパンの皆さんと三鷹駅前のJAZZ CLUB〈UMANAS〉でテスト録音し、その組み合わせで問題なく動作することを確認。こうして国内初のPYRAMIX NATIVEでの録音が実現しました。
マイクプリアンプは、私がいつも使う〈RME OCT MIC-2〉をピアノのL-R Ls-Rsへ。そして低域にパンチのある〈TLAudio A-1〉を使用。マイクはピアノL-Rに〈SANKEN CO-100K〉低域に〈Brauner phantaum classic〉サラウンドには、同じ音質で〈SANKEN CUW-180〉と言う組み合わせです。モニターは〈URUTRASON PRO-900ヘッドホン〉です。このヘッドフォンは、モニタースピーカーで再現したときと定位感が同じに再現できる構造なのでヘッドフォンモニターでも安心できる、まさに業務用のヘッドフォンです。メイン機材には、電源からのノイズを防止するため〈サウンドナイト〉というアダプターを電源へ装着しています。


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今回のレコーディングにおいての方向性、また配慮した点など。

Mick 沢口:スタジオ(レコーディングが行われた日東紡音響のAGS試聴室)の音響コンセプトは〈森の自然な響きを再現する〉AGS(Acoustic Grove System)柱状拡散体で埋め尽くされたスタジオです。これは、発音体からの音が、不要輻射されるのではなく位相の整った波面として放射されることを目的に開発された拡散体です。その音は楽器の音が整音されてマイクに届くという大変素直な音場になっています。私は、音楽の情報量は多いほど感動も多いと感じていますので、基本サラウンドで録音しています。2chの押し寿司のように情報が押し込まれた音場は、どうしても無理があり、いきおい調味料過多となります。今回もピアノ・ソロですが5chのサラウンドで深町さんの音世界が空間としても捉えられる方向としました。〈何も足さない、何も引かない〉がポリシーですので、お化粧は、ありません。良い演奏が良い音場で良いマイキング・アレンジで良い機材で捉えれば、それがベストだと考えています。


ミックスダウンについてお伺いさせて下さい。

Mick 沢口:最初は、サラウンドでのMIXを行いますが、私の基本は〈録音現場でベストのバランスをリアルタイムに作る〉ことにしていますので、MIXでは、ほとんど操作をしません。そのほうがPCへの負担もなく結果音質もそこなわれないからです。 日本のエンジニアの多くは、録音は、歪まないレベルで一定に録音し、MIXの段階でいじることで作りだす。という考えが一般的ですが、私はアコースティックな音楽は、現場で演奏者の気持ちになってMIXERをコントロールしておけば、あとのMIXでは、ほとんどそのままでいけるというアプローチです。
モニターレベルは1ch/65 db-cウエイトで規正してあり。次に最終チェックでは6db落ちた59db/c-cウエイトで最終バランスを確認します。これでOKなら次にステレオMIXを行います。


実際に完成した音を聴いてみていかがですか?

Mick 沢口:毎回聴く度に「まさに一期一会の演奏」だったと思います。 私はマスタリングでも世の中で一般的な「音圧競争/詰め込み」マスタリングによる加工はやりません。それはアーティストのニュアンスを無視したエンジニアやプロデューサの商業主義が優先されているからです。あくまで演奏したダイナミックレンジを適切に収めることを優先しています。その分平均レベルは低くなりますが、アーティストの気持ちは、そこなわれません。
ハイレゾ音源をお楽しみのユーザーの方々は、きっとその方向が受け入れられると思っていますので是非本当のHi-Fi音楽をお楽しみください。


大変貴重なお話をありがとうございました。

Mick 沢口(沢口音楽工房代表)

Mick 沢口 (沢口音楽工房代表/サラウンド寺子屋主宰)

1971年千葉工業大学 電子工学科卒 同年 NHK入局 ドラマミキサーとして「芸術祭大賞」「放送文化基金賞」「IBC ノンブルドール賞」「バチカン希望賞」など受賞作を担当。1985年以降はサラウンド制作に取り組み海外からは「サラウンド将軍」と敬愛されている。2007より高品質音楽制作のためのレーベル「UNAMASレーベル」を立ち上げ、さらにサラウンド音楽ソフトを広めるべく「UNAMAS-HUG/J」を2011年にスタートし24bit/96kHz、24bit/192kHzでの高品質音楽配信による制作およびCD制作サービスを行っている。

1989年よりInterBEE国際フォーラム音響部門企画担当。2001年よりAESや東南アジアを中心にサラウンドワークショップ・セミナー/技術発表をおこないアジアでのサラウンド制作を推進。

Unamas Jazz

2006年北京オリンピック・サラウンド制作のためCCTV、2012年ロンドンオリンピック・サラウンド制作のため韓国KBSでセミナー。2002年よりサラウンド普及のためのサラウンド寺子屋塾を開設、2003年、NHK制作技術センター長、2005年NHK退職後2010年までパイオニア技術顧問。2006年より東京芸術大学音楽環境創造学科サウンドデザイン講師、2011年からは名古屋芸術大学でサラウンドWSを担当し若手の育成に従事。

沢口音楽工房 オフィシャルウェブサイト⇒